ケータイ辞書JLogosロゴ 新涯村(近世)


広島県>福山市

 江戸期〜明治22年の村名。備後国深津郡のうち。福山藩領。当村は慶応元年に造成が開始され,同3年一応の完成をみた。同4年頃には一番新涯村・二番新涯村・三番新涯村に分かれた(新涯村築造日誌)。村高は,一番新涯村542石余(159町余)・二番新涯村391石余(115町4反余)・三番新涯村264石余(55町8反余)とあり(同前),「旧高旧領」では一番・二番・三番新涯と見えあわせて1,198石余。明治4年福山県,以後深津県・小田県・岡山県を経て,同9年広島県に所属。明治5年の戸数・人口は一番新涯村71・195,二番新涯村61・146,三番新涯村21・62。なお明治4年の入植者には備後のほか備中・安芸・伊予の出身者がいた(三ケ村戸籍下控)。同7年一番・二番・三番新涯村が合併。同21年の戸数260・人口1,168。同22年川口村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422342
最終更新日:2009-03-01




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