ケータイ辞書JLogosロゴ 菅田村(近世)


広島県>黒瀬町

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国賀茂郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに169石余。「芸藩通志」によれば,畝数19町余,戸数68・人数318,牛40・馬3。庄屋は幕末期菅田氏の名が見える。氏神は字西黄幡山の三島神社,祭神は大山津神ほか上津姫命・下津姫命を祀る。保延2年上記月見館に勧請したが,弘治3年移転,寛政年間現在地に移したという。貞治3年足利直冬が寄進した絵馬があったという(賀茂郡志)。月見館にいたとされる新居氏は伊予国河野氏の出と考えられ,三島神はその氏神であるところから,勧請したものと思われる。足利直冬の絵馬は,直冬が父足利尊氏に叛きその根拠地の備後を追われ,新居氏を頼ってきたときのものであろう(同前)。新居左近大夫は応永年間津江樋ノ上神社の棟札,西条吉行の石清水八幡神社の神輿木簡(芸藩通志)その他に名を残している。小祠に荒神社,字トウカンに観音堂があり,慶長年間廃寺となったという(賀茂郡志)。農業が主体であるが「近年瓦并油瓦少々宛焼出し,近辺村々へ売出申候」とある(国郡志賀茂郡辻)。水子谷清水は蜂峰にあり,薬水として名がある。神岩は同じ山にあり,神の踏割岩と伝える。叩けば金声を発するという(芸藩通志)。嘉永・安政年間中島梅庵による梅庵塾があった。明治4年広島県に所属。明治3年矢民館を創設,同11年切田村の明道館と合併して宝荘小学校となる。明治10年楢原小学校を天神原に移し,天神小学校とする。同20年天神簡易小学校と改称。同22年黒瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422399
最終更新日:2009-03-01




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