- JLogos検索辞書>
- 大王村(近世)とは
「大王村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 大王村(近世) 江戸期~明治8年の村名備前国津高郡のうち宇甘【うかい】川上流北方,吉備高原の浸食小起伏面上に位置する宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに163石余,「天保郷帳」231石余,「旧高旧領」230石余反別と家数・人数は,「備陽記」で18町6反,41軒・197人耕地は山田・高田がほとんどで,天水に頼るため,村内には池が3か所つくられ,また旱魃に備えて育麦蔵も置かれていた(吉備温故秘録)万治2年岡山藩は,元虎倉城主伊賀氏の遺臣を中心とする土豪百姓弾圧を目的に,加茂郷内の農民に由緒書などの写しの提出を命じた当村には,このとき諸証文を提出した「加茂庄官十三流」の1人河原氏がおり,弾圧以後も裃の着用など特権を保持した明治4年岡山県に所属同8年富永村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」