高野村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。安芸国山県郡のうち。広島藩領。元禄年間以降に山野廻村が6か村に分村して成立。村高は,所務役人頭庄屋郡邑受方記,「芸藩通志」「旧高旧領」ともに146石余。享保12年の山県郡村々諸色覚書によると,戸数は本百姓23・小家12・浮過4,人数167。「芸藩通志」によれば,畝数17町余,戸数54・人数317,牛36・馬48。砂鉄採取のための鉄穴流しの禁止された太田川流域と異なって,大谷川流域では,近世期を通して鉄穴流しが稼行され,寛永年代と享保年代の両度,下流域住民から鉱害訴訟が起こっている。近世初頭より製鉄業がみられ,当村庄三郎の長割鍛冶屋・釘地鍛冶屋各1軒,都志見村長兵衛の長割鍛冶屋2軒など,「当村鍛冶屋不絶有之,農間ニハ炭焼・鉄荷駄賃等の浮儲有之大ニ村方之助と相成候」とある。氏神は,村中惣鎮守の田床社と沖社・大谷社など。明治4年広島県に所属。同22年山廻村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422535
最終更新日:2009-03-01