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- 竹原郷(中世)とは
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竹原郷(中世) 鎌倉期~室町期に見える郷名河内国交野【かたの】郡のうち建仁3年4月日の摂関家御厩下文案(春日若宮社家古文書/大日料4-7)には「田宮竹原郷」とあり,同年7月日の摂関家御厩下文案(同前)にも「竹原五坪陸段」と見えるその後応永26年に書写されたという河内国小松寺縁起(続群27下)に収められた保延5年3月日の奉加帳には,「百文〈竹原住人〉」と見え,久安元年2月日の近衛天皇綸旨には「竹原郷」と見え,当郷が小松寺修二月会の経費の一部を負担した旨が記されているしかしこれらの文書は保延および久安年間のものとは思われず,検討を要する現在の枚方【ひらかた】市田宮付近に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
竹原郷(中世) 戦国期に見える郷名白河荘のうち天文13年閏11月11日の鹿島最勝寺鐘銘(県史7)に「奥州白川庄竹原郷鹿王山最勝寺鹿島宮鐘」と見える中通り南部,現在の白河市鹿島のあたりに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」