ケータイ辞書JLogosロゴ 立花村(近世)


広島県>向島町

 江戸期〜明治22年の村名。備後国御調【みつぎ】郡のうち。広島藩領。蔵入地。村高は,正徳2年所務役人頭庄屋郡邑受方記,「芸藩通志」「旧高旧領」ともに34石余。「芸藩通志」によれば,戸数105・人数572,村の広さは東西28町・南北8町,牛12,船20,属島に笹島・小島(ともに周囲50〜60間),農間余業は船運・漁業に従事,蒺子を産す,御建山に釣浜山・高見山・妙見山,御留山に古城山,神社に明現社(寛永年間再興),廃寺跡に古寺跡(余崎の寺屋敷),村上氏の菩提所で,のち因島中庄金蓮寺に移すという。古城跡の余崎城は村上義光居所,また宮地大炊助次男島居次郎資長もここにいたという。当村は村上氏の移転後荒廃していたので,寛永年間尾道郡奉行川崎多左衛門の指導のもと,荒村復興が因島三庄出身の勘十郎を中心に進められた。寛永7年村境決定,勘十郎一家が来住,順次ほかの住民も移り来る。同10年の川崎多左衛門から勘十郎らにあてた書状によると,向島西村のうち,立花・余崎・江の浦・釣浜・茅の浦の地,高34石余を今年より10年開きで開き取りにし,11年目より定免で年貢を徴収するとある(向島岩子島史)。予州沖の島・因島東岸部から人々が移住し開拓を進めた。同年には余崎の城山に藩の遠見番所が設けられた。戸数・人数は,寛文19年12・89,寛保3年41・226。同4年広島県に所属。同21年の戸数248・人口1,195。同22年市制町村制施行による立花村となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422614
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ