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- 徳市村(近世)とは
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![]() | 徳市村(近世) 江戸期~明治7年の村名越前国敦賀郡のうち笙ノ川下流左岸,敦賀町の南西郊外に位置するなお,「敦賀志」は「此村の北の端を西へ流るゝ小河有,是大谷氏の城の南濠にて,天和二年の書に徳市の堀と見えたる名残なり」と記し,敦賀城の南堀縁に当村が位置するとするはじめ福井藩領,寛永元年から小浜藩領慶長国絵図では島郷に含まれる村高は,「正保郷帳」で320石余うち田方307石余・畑方13石余,「元禄郷帳」も同高,「天保郷帳」「旧高旧領」はともに328石余天和2年の「遠目鏡」に「猿廻シ 徳市村より出ル」とある敦賀郷方覚書によると,庄屋は五郎太夫,小物成に睦月銀1匁5分・入草銀27匁・新出来米2石米・夫役6分・夫米4俵3斗余,馬7,家数31(高持17・無高13・寺1)・人数146,ほかに借家5人,社寺は正八幡宮・時宗来迎寺末万福寺「雲浜鑑」によれば,家数21うち寺1・社1,人数77なお「敦賀志」は正八幡宮の別称につき「此境内蟻生ぜず,甚奇なり,よて蟻なしの宮と称し来れり」と記す明治4年小浜県を経て敦賀県に所属「敦賀県管轄区分表」による家数20同7年八幡町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」