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- 徳永村(近世)とは
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![]() | 徳永村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 徳永村(近世) 江戸期の村名佐賀郡のうち佐賀平野北部,金立【きんりゆう】山南方で筑後川支流巨勢【こせ】川東岸に位置する「寛保年中差出写」所収の慶長16年1月11日付鍋島勝茂判物に「徳永村之内」103石6斗が木塚九兵衛尉に,6石が平田平左衛門尉の知行地として宛行われている佐賀本藩領上佐賀上郷に属す「玄梁院様配分帳」では鍋島内記ほか1名の知行地村高は「正保国絵図」「天明村々目録」ともに361石余「天保郷帳」では379石余「旧高旧領」には見えない「宝暦郷村帳」では小村に篠木野村,「天明郷村帳」では小村に篠木野・光岡があるまた「宝暦郷村帳」には薬師丸宿の別称として徳永宿が見える神埼【かんざき】と小城【おぎ】を結ぶ街道が東西に貫通しており,名物として徳永飴と呼ばれる米飴がある白鬚神社は川久保の白鬚神社を分祀したものと思われる「明治7年取調帳」では上和泉村の枝村として見える「郷村区別帳」では上徳永村・下徳永村に分かれ,ともに上和泉村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,上和泉村のうちに「上徳永村」(13戸・68人),「下徳永村」(45戸・193人)と見える... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 徳永村(近世) 江戸期~明治30年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 徳永村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 徳永村(近世) 江戸期~明治11年の村名常陸国真壁郡のうち観音川右岸に位置する元禄年間は旗本斎藤氏・河野氏の相給,幕末期は幕府と旗本斎藤氏・大木氏ほか旗本4氏の相給村高は,「元禄郷帳」217石余,「天保郷帳」229石余,「旧高簿」224石余正保年間~元禄年間に三郷村を合併,文政10年「仰渡請書」によれば名主が5人おり,組頭は置かれず,川さらえ・道普請などで,名主全員が監視役になると人夫が減るので,月番制がとられたとある寺院は真言宗医王寺(現在廃寺)明治4年茨城県,同11年真壁郡に所属明治9年真壁郡地租改正反対一揆で,1名が喚問されている明治11年三郷村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 徳永村(近世) 江戸期~明治30年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」