ケータイ辞書JLogosロゴ 豊島(近代)


広島県>豊浜町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ豊浜村,昭和44年からは豊浜町の大字。明治22年村役場を設置。同24年の戸数425・人口2,865。明治23年に農協および漁協が相ついで設立され,産業の振興を図った。ことに明治中期には山口県から夏ミカン,隣村大長【おおちよう】村からは温州ミカンの苗木を移入し,現在の柑橘産業の素地をつくった。漁業面では県内屈指の漁業経営体を有するまでに発展し,昭和29年には製氷工場が設立された。漁業整備修築事業による港湾整備,マダイの稚魚の育成放流事業は年ごとに進展し,その成果をあげている。明治24年小野浦集落の西側ほとんどが焼失した。同39年今治市との間に定期旅客船就航,大正10年電灯がつき,昭和4年郵便局開設。さらに同9年には常設映画館が開業するなどこの頃からようやく文化施設が整いはじめた。同29年県外出漁者の子供の収容施設として,豊浜学寮が設置された。島民の一番の悩みであった水不足は同49年の安芸灘水道事業の完成によって解消した。近年農免道路・島内循環道路も急速に延長整備されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422906
最終更新日:2009-03-01




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