ケータイ辞書JLogosロゴ 苗代村(近世)


広島県>呉市

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国安芸郡のうち。縄代村とも書く。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」や「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに212石余。「芸藩通志」では畝数39町余。「国郡志書出帳」によれば,戸数108,蔵・納屋7,灰屋12,人数535,牛61,家族を含めた人数は百姓418・浮過117,産物は米・麦・蕎麦・大豆・小豆・粟・大根・琉球芋など,農間余業は山業と木綿織。村内には氏神の多賀雄神社をはじめ神祠7と堂3。禅宗万福寺は,寛永年間真宗が隆盛を極めたことにより廃寺となる(存置官林箇所取調並ニ苗代村沿革)。周辺の押込・郷原・熊野村間にはしばしば山論が発生。なかでも明治15年の苗代村と郷原村の山論は暴力行為に発展,裁判にまでもつれた。明治4年広島県に所属。同6年開成舎(のちの昭和東小学校)を創立。同12年の戸数139・人数641。同22年本庄村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422920
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ