中村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。安芸国佐伯郡のうち。広島藩領。蔵入地。能美島西が分村して成立。村高は,寛永15年の地詰744石,「芸藩通志」764石余,「旧高旧領」804石余。文化9年黒髪新開,天保13年胡田・石風呂・黒崎新開が拓かれる。元禄10年の戸数168・人数426(大柿町史)。「芸藩通志」によれば,村の広さは東西27町余・南北20町,新開3町余,戸数387・人数1,032,牛72,船36(80石以下)。黒崎には3反帆の船を20艘繋げる埠頭があり,農耕船として使われたばかりでなく,秋〜冬にかけてゴミを求めて広島・宮島・愛媛・山口まで出掛けた。ゴミは麦やサツマイモの格好の肥料となった(同前)。楮を栽培したが,水に乏しく,製紙業は興っていない(能美島志・佐伯郡諸産物辻寄帳)。新開畑での綿作では,綿実は主に御用商人に買い占められ,文久2年積出し新実は1,450貫に達した(大柿町史)。「中以下之者」は木綿織に従事し,藩の統制が加えられなかったことも手伝って広範に展開した(竹原市史)。宮山の亀甲山に鎮座する八幡神社は能美島西の氏神,祭礼は,各村が毎年順番に任に当たる。宇根山の浄土真宗徳正寺には高さ65cmの寄木造りの阿弥陀如来像がある。明治4年広島県に所属。同22年市制町村制施行による中村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422926
最終更新日:2009-03-01