ケータイ辞書JLogosロゴ 中迫村(近世)


広島県>西城町

 江戸期〜明治22年の村名。備後国奴可郡のうち。広島藩領。明知方。村高は,元和5年「知行帳」227石余,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに274石余。「芸藩通志」によれば,戸数31・人数148,広さは東西7町・南北17町,牛53・馬14,飛郷に福山がある。「国郡志書出帳」では本郷の郷蔵から福山の郷蔵までの距離は34町50間。神社は一野宮神社,祭神の大屋比古命は大屋を開いた神と伝える。もと大屋村の城山にあり,のち一野宮と改め正治元年に現在地に移したという(比婆郡誌)。「芸藩通志」では吉備津神社,「国郡志書出帳」には「一ノ宮」とあり,祭神吉備津彦命,戦国期の宮氏が守護神である備後一宮吉備津神社を当地へも勧請したものであろう。農業以外には薪炭を西城町へ売る。文化年間に駒山や石谷で砂鉄採取が行われたともいうが,寒冷地でもあり,藩の捨米銀(救恤米銀)をたびたび受けた(杏翁意見)。また当村はもと大屋村のうちで「宮の谷」と呼ばれていたが,一野宮神社の祭日に大屋の本谷と宮の谷の氏子が行列の先争いで衝突したことが分村のきっかけになったと「国郡志書出帳」に記されている。「芸藩通志」に猿塚が記され,「瘧を病むもの,此塚に祈れば験ありと,一に庚申塚といふ」とある。明治4年広島県に所属。同12年大屋村中迫村公立連合大屋小学教場を大屋村に設立。同21年の戸数36・人口334。同22年美古登村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422939
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ