中西町(近世)
江戸期の町名厳島神社西方の西町のうち白糸川の左岸,厳島神社出口から大聖院へ登る通りを中心に成立天文10年3月22日の厳島屋敷打渡注文(大願寺文書)に「中西少路」とあり,天正19年4月の桂繁俊証状(桂文書所収厳島文書)によれば,中西町惣公文の屋敷を桂元依が棚守元行に売渡しており,中世末期には家屋が存在していた大聖院の付近に増福坊・一乗坊・菩提院・愛染院などの供僧寺院があり,慶長13年の屋敷付立(厳島野坂文書)では社家4・内侍4滝町と中西町を結ぶ少路は「御子内侍小路」と呼ばれ,近世初頭まで御子内侍の居館があった大願寺絵図では,厳島神社出口あたりを留守口町と記し,ここから御手洗川に並行に五間屋町がある近世中期以降五間屋町(五軒屋町とも記す)は中西町,留守口町は大西町に統合された天明町絵図に,社家・寺庵13,町人屋敷32,抱屋敷15とある現在は上中西町・下中西町と分かれ,下中西町に厳島神社宝物館がある
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423004
最終更新日:2009-03-01