ケータイ辞書JLogosロゴ 楢原村(近世)


広島県>黒瀬町

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国賀茂郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」では奈良原村と見え,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに141石余。「芸藩通志」によれば,畝数16町余,戸数80,人数398,牛51。庄屋は明治3年畠氏・広田氏の名がある。氏神は字宮の前にある厳島神社,もと厳島神領であったので祀られたかという。荒神・山の神の小祠がある。寺院は浄土真宗本願寺派示現山西福寺,もと津江の北小田山山頂にあった本照寺が下りたあとといい,脇堂の阿弥陀如来座像は本照寺の本尊であったと伝える。同寺の僧普妙は賀茂郡川尻の光明寺訶提に学び,真宗学侶として名をなす。また幕末から明治期にかけ勤王僧とし学僧として活躍する宇都宮黙霖の父峻嶺の生家として知られる。灌漑用の池が多い。北の小白実山は兼広・切田村との入会。明治4年広島県に所属。同6年横井玄敬により西福寺へ日進舎を創設,同8年楢原小学校と改称。同10年菅田の天神原に移し,天神小学とする。同22年中黒瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423079
最終更新日:2009-03-01




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