ケータイ辞書JLogosロゴ 仁方町(近代)


広島県>呉市

 明治40年〜昭和16年の賀茂郡の自治体名。大字は編成せず。明治43年の戸数967・人口5,547。江戸末期より広まったやすり製造が家内工業として次第に普及したが,同年頃には徳生式目切機が考案され,大正4年には準備工程に圧延機とロール機,同6年に電動機が導入された。これによって製造高も明治41年に11万5,300本,同44年に40万6,800本,大正6年100万2,000本と飛躍的に増加,「仁方千軒,やすりが五百」といわれるようになった(呉市史)。昭和期にもやすり工業の発展は続き,同10年には全国生産高の50%を占めるまでになった。明治44年政府の塩田整理方針により当町の塩田はすべて廃田。昭和10年国鉄三呉線(現呉線)が開通し仁方駅開業。同13年仁方〜広間の旧仁方隧道開通。同16年呉市仁方町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423096
最終更新日:2009-03-01




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