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- 能美郷(古代)とは
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能美郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名濃美郷とも書く「和名抄」因幡【いなば】国高草郡八郷の1つ天慶3年の「因幡国東大寺領高庭荘坪付」(東南院文書/平遺251)に「濃美郷三段」と見られ,郷域内に,奈良期から平安中期にかけて因幡国東大寺領高庭荘地が分布していたことが知られる郷域は,式内社大野見宿禰命神社(鳥取市徳尾)の存在や「因幡国東大寺領高庭荘坪付」に「濃美郷三段 北七条速見里八大坊田二段 船津里廿二桐无田一段」とみられることなどから,野坂川以北の千代【せんだい】川に接する西岸地域が想定できる鳥取市安長・秋里・江津・徳尾などの地域がこれにあたる承徳3年3月26日野見郷司真遠が因幡国司平時範に馬2頭を献じた記録が見られる(時範記)「因幡国東大寺領高庭荘坪付」でみると郷域内に条里制が施行されていたことが知られる能美郷は北3条から北7条あたりにかけての地域となる式内社大野見宿禰命神社が鳥取市徳尾に祀られている |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」