ケータイ辞書JLogosロゴ 乃美尾村(近世)


広島県>黒瀬町

 江戸期〜明治22年の村名。賀茂郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」では「のみ野尾村」と見え789石余,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに785石余。「芸藩通志」によれば,畝数107町余,戸数349・人数1,673,牛181・馬4。慶長年間黒瀬川沿いの大草原を郡奉行が開拓のため家臣某に黒瀬川の水利の調査を命じ,某は南方の浄善坊に井堰を設けるつもりで工を起こしたが失敗,責任を取って切腹,そこを今「切腹の場」という。郡奉行は他の家臣に命じて再度調査させ,その家臣は国近清誓寺の西方に井堰を作ることに成功し,この井堰を清誓寺井堰という。「芸藩通志」の村絵図に見られる水路はこの成功によって作られたという(堀田六太郎井堰改修陳情書)。また,慶長16年の戸数73。庄屋は脇氏・森房氏・土肥氏(大河内村)などが勤めるという。氏神は字西門前にある権現社(現門前神社),弘仁4年紀州熊野から現嶺に勧請,応永2年現在地に移すと伝える。速玉之男・事解之男命など熊野神を祀る。小祠は字八幡に高八幡神社,岡郷に岡郷穀神社。門前神社の横にある廃金蔵寺はさきの大永3年の東西条所々注文に見え,もとは禅宗で熊野山本宮院といい,大多田・丸山などに寺領があったという。門前神社とともに熊野信仰の中心をなした。寺院は字東市之堂に本興寺,浄土真宗本願寺派,法喜庵といいもとは禅宗であったのを万治3年改宗,岩幕山法演寺と称していた。浄願寺は字八ツ溝にあり,晩蔵山と号し浄土真宗本願寺派,もとは土居庵と称し禅宗,万治3年改宗。西教寺は字八幡にあり,浄土真宗本願寺派,永禄6年11月禅宗から改宗。小堂は蔵専寺観音堂,字西市之堂の阿弥陀堂・蔵庵地蔵堂・江東庵(芸藩通志ほか)。市之堂は物資の集散地で牛馬市も開かれる。堂の縁日(本興寺の前身)といい,縁日にはにぎわい,税所もあったという(賀茂郡志ほか)。脇万左衛門は文化・文政年間に西条三升原・柏原などの開拓に功があり,割庄屋・年寄など勤め苗字帯刀を許される。門前神社に「三余脇翁碑」が建つ。明治4年広島県に所属。明治3年八幡社境内に八幡塾を開き,同7年大多田村と共同で精々舎を土居庵に置く,同10年乃美尾小学校,同19年沖条小学教場,同20年乃美尾簡易小学校と改称。同22年市制町村制施行による乃美尾村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423245
最終更新日:2009-03-01




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