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- 羽倉村(近世)とは
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羽倉村(近世) 江戸期の村名魚沼郡のうち寺石村4か村の1つ信濃川左岸関田山脈が迫り,平地の少ない山村寺石村4か村を羽倉郷と総称することもあったはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」60石余,「元禄郷帳」73石余元禄7年改村鑑によれば,家数10(本家7・水呑2)・人数87,馬7神社は矢放社ほかに清水観世音堂がある中国古銭が大量に入った壺が発見されたり,近郷一帯を羽倉郷と呼称するなど村立ての古さを物語っている寛文10年丘陵を越えた信州森村との間に起こった境界山論は幕府の評定所裁許により延宝2年勝訴となった当時築いた5か所の境塚は現存する寺石村全体を統括する庄屋が寺石村に置かれ,当村には庄屋が置かれなかった江戸中期に寺石村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」