ケータイ辞書JLogosロゴ 波多見島(中世)


広島県>音戸町

鎌倉期から見える地名安芸国安南郡安摩【あま】荘のうち仁治3年3月12日の安芸国安摩荘内衣田島荘官百姓等解によると,「波多見浦惣公文中原有通」の名が知られる(巻子本厳島文書)当地は八条院領安摩荘のうちであったが,治承3年12月には領家平頼盛の私得分が厳島社供料に割き充てられ(新出厳島文書),延応元年12月17日波多見島から延応元年分の御供米3石4斗2升が厳島社に運上されている(厳島野坂文書)また,南北朝期の忽那一族軍忠次第に他国合戦として「一,安芸国波多見合戦」がある「鹿苑院殿厳島詣記」康応元年3月10日条に「内の海・かうしろ・ひろ・くれ・はたみ……かやうの浦々過させ給へり」と見える下って,応永28年正月日の公光証状写に「安摩庄之内波多見島之事」とある当地は,応永34年までに竹原小早川氏の所領となり,この年11月10日小早川弘景は波多見島を嫡男盛景に譲与し,永享4年12月15日の陽因去文写により小早川盛景の波多見島伝領が認められ,さらに享徳3年10月5日盛景から嫡男弘景に譲与されたその後,年未詳11月27日の内藤弘和書状写および同日付の相良正任岡部武景連署奉書写などによれば,小早川氏と野間氏の間で紛争が生じ,波多見島の瀬戸城で合戦が行われたが,年未詳6月10日の大内義興書状写によれば,波多見島は小早川氏と野間氏で中分され,弘治元年野間氏滅亡後は再び小早川氏の所領となった(小早川家文書)倉橋島の北部東半,江戸期の瀬戸島村,現在の音戸町音戸に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423296
最終更新日:2009-03-01




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