ケータイ辞書JLogosロゴ 土生町(近代)


広島県>因島市

 大正7年〜昭和28年の御調郡の自治体名。大字は編成せず。造船業および関連産業の発達により人口が急増し,農漁村から近代産業都市へと変容し因島の中心となった。大正7年塩田廃止。同11年の世帯数2,836・人口1万1,364。大正期以降大阪鉄工所の工場は拡大され,南側には次々と船渠が建造された。昭和11年から日立製作所の経営するところとなり,同18年日立造船所と改称,工場は拡大を続け,敷地は東隣の三庄にまで伸長した。造船業の盛況に伴い工場労働者も増加し,大正10年総同盟因島支部も結成され,総同盟の中心的存在として備後南部労働運動の中核となり,地域の労働運動を推進した(県労働運動史)。住宅地も密集し,船造所入口から北西部にかけて島内最大の市街地が形成された。総合病院・生活協同組合・娯楽施設などが設立された。大正10年町立として設立された土生実科高等女学校は昭和11年土生高等女学校となり,同13年県立に移管,同23年県立土生高校となり本校に定時制夜間部,重井村と東井口村に昼間定時制を設置した。同28年因島市土生町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423323
最終更新日:2009-03-01




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