ケータイ辞書JLogosロゴ 春木村(中世)


広島県>千代田町

 平安末期〜戦国期に見える村名。安芸国山県郡のうち。厳島社領として市折村と並称されることが多い。嘉応3年正月日の伊都岐島社領安芸国壬生荘立券文に記される壬生荘四至の北限が,「春木谷并志野坂川戸村訓覔郷堺」であり,乾方の牓示が春木谷東堺路にあった(新出厳島文書)。安元元年11月春木・市折両村の作田を郡内に散在していた厳島社本御供田10町1反120歩・新御供田3町と相博し,当村は社領にくみこまれた(厳島野坂文書・新出厳島文書)。治承3年と思われる10月18日の安芸国目代行蓮書状に,春木・市折は永く神領としてその代の公田所当米は,国衙収納使でなく社司の沙汰となったことを記している(巻子本厳島文書)。10月21日行蓮はこれを施行した(厳島野坂文書)。同年10月の安芸国司庁宣写で,「春木・一折代散在田所当官物」を所司が勤済するよう命じている(楓軒文書纂所収文書)。正治元年12月伊都岐島社政所解によると,春木村に本御供田10町1反120歩・新御供田2町があった(新出厳島文書)。嘉禎年間の伊都岐島社造廻廊注進状案に春木六郎なる者が造営を負担していることを記す(野坂文書)。下って,天文19年8月2日毛利元就は春木の代所として吉川元春に河井村を与え,同年12月16日元春の本領分として春木のうち100貫が与えられた(吉川家文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423358
最終更新日:2009-03-01




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