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広島県>君田村

 江戸期〜明治22年の村名。三次郡のうち。はじめ広島藩領,寛永9年三次藩領,享保5年から再び広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」510石余,「芸藩通志」585石余,「天保郷帳」510石余,「旧高旧領」585石余。戸数・人数および牛・馬は,享保7年の「三次郡覚書」108(本百姓・寺89,名子19)・638,同11年諸色書出帖157(本家78・無高浮過35・寺2など)・593,牛29・馬18,「芸藩通志」90・395,牛47・馬45。三次郡最多積雪地域で,「国郡志書出帳」では村の6割方は「毎年弐尺四,五寸より三尺余,大雪と申時者四尺余も積申」,「芸藩通志」には「大抵年に,熊ひとつは獲る,其余の村,深山ありといへども熊をとる事難し」とあり,煙草について「櫃田村沓が原の産,香味佳なり,凡そ年千五百丸売るといふ」とも記す。鈩製鉄も盛んで,享保7年の「三次郡覚書」には藩営の鈩所が井久利谷に1か所,同鍛冶屋が荒田に1か所,鉄山が村内10か所とある。「国郡志書出帳」には農間余業として「御鉄或ハ粉鉄等くり出し駄賃」稼ぎをあげている。江戸後期には松が瀬・岩敷・二本谷にも鈩所があった。急流神野瀬川の鮎は殊に美味として知られ,松が瀬と三ふねの2か所の魚梁では,「鮎相当ニ取レ申候」とある(国郡志書出帳)。明治4年広島県に所属。同15年の戸数215・人口1,156。同22年君田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423437
最終更新日:2009-03-01




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