ケータイ辞書JLogosロゴ 櫃田(近代)


広島県>君田村

 明治22年〜現在の君田村の大字名。明治24年の戸数149・人口1,286。当地区は林業への依存度が高く,近世末期百姓啓造が小字伊久利で採種した啓造杉を母樹に,明治30年〜大正4年6万本の植樹が行われ,伊久利杉の評価を高めた(櫃田誌)。明治末期から大正期には鉄道用枕木を神野瀬川を利用して三次へ送った。谷川を利用したワサビ栽培も明治20年頃から行われた。役畜以外に運搬手段のなかった大正末期,当地区から20km離れた芸備鉄道(現国鉄芸備線)三次駅までケーブルを通して木炭・木材を運ぶことを計画し株式を募り,中途まで木柱を建てたが事業が挫折した。昭和14年帝国製鉄会社が二本谷で工業用木炭生産を行い,最盛期には他地区から150余名の移住者があった。昭和15年当地の北端に接して下高野山村に高暮ダム工事着工,当地がその拠点となり,ほぼ村人口に匹敵する労働者とその家族が移住してきた。当地へも神野瀬発電所・沓原調整池・君田発電所が建設された。なおこの工事で多数の朝鮮人労働者が強制労働に服させられた。同45年2月28日〜3月25日にかけて計1,242回の沓原地震と称される群発地震(最大震度マグニチュード4.6)が発生した。世帯数・人口は昭和15年215・1,156,同50年134・555。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423438
最終更新日:2009-03-01




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