ケータイ辞書JLogosロゴ 檜村(近世)


広島県>吉舎町

 江戸期〜明治22年の村名。備後国三谿郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」では「ひむら」と見え232石余,寛永15年地詰319石余,寛文11・12年地詰,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに320石余。「芸藩通志」によれば,戸数53・人数263,牛53・馬9,産物は蕨粉・葛粉・杉原奉書,神社は四柱神社,廃寺は吉寺と南天山城主和智師実の菩提寺である能引寺。能引寺跡に建つ小堂の法会には付近の20軒の民家が「名」と称し,参詣者を接待した(八幡村誌)。火の川の竜玉山麓の蛇ガ淵には大蛇が棲むといい,大蛇が不浄を忌んで風雨をもたらすので,旱魃にさいし他村の若者が降雨を祈って秘かに牛馬の骨をこの淵に投ずる習慣があったという(同前)。明治4年広島県に所属。同21年の戸数60・人口377。同22年八幡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423447
最終更新日:2009-03-01




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