広町(近代)
昭和16年〜現在の呉市の町名。昭和16年広海軍工廠航空機部が第11海軍空廠として独立開庁,同20年広海軍工廠を合併。同年5月5日の空襲により死者97名(呉市戦災復興誌)。同年9月26日にアメリカ軍第10軍先遣隊が当地に到着,以後アメリカ軍,イギリス連邦軍によって占領される。同20年12月以降第11航空廠跡には,川南工業広製作所・広島工機部広分工場が進出。同25年東洋パルプ・中国工業も進出。昭和22年横路中学校・三坂地中学校,同23年長浜中学校開校。同年呉市から分離を求める運動が発生,翌年住民投票の結果分離賛成8,459・分離反対6,224となったが県議会が否決したため分離運動は不成功に終わった。同30年一部が広中町となる。同32年県立呉商業高校が開校。同34年近畿大学工学部開校。同44年広青年教育センター落成。同46年中国工業技術試験所開設。一部が,同43年豊栄1〜3丁目,同48年阿賀中央1〜9丁目となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423469
最終更新日:2009-03-01