ケータイ辞書JLogosロゴ 比和村(近世)


広島県>比和町

 江戸期〜明治22年の村名。恵蘇郡のうち。はじめ広島藩領,寛永9年三次【みよし】藩領,享保5年から再び広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」では「ひわ村」と見え585石余,「芸藩通志」607石余,「天保郷帳」590石余,「旧高旧領」607石余。「芸藩通志」によれば戸数137・人数457,広さは東西1里・南北12町,「当郡の郡本とす」とあり,牛127・馬88。また神社には比和山八幡神社(祭神は足仲彦命・気長足姫命・誉田別命・伊邪那美命)と杵築神社(祭神は大国主命・伊邪那美命)があり,寺院には浄土真宗本願寺派正覚山円光寺・日蓮宗寿栄山妙玄寺・曹洞宗天寿山正福寺・浄土宗安養山浄土寺がある。享保年間には鉄穴が22か所,布見・比和谷には鈩があった(旧県史)。砂鉄・木炭・銑などの貨物の駄送のため牛馬の飼育が盛んであった。布見の岩倉六右衛門は天保14年遺伝的に固定化した良系統の牛,蔓牛の岩倉牛を作った。出雲路の比和宿が置かれ,「芸藩通志」に「比和駅 伝馬定数なし,逓送南は伊勢町へ三里,北は新市駅まで三里半」とある。比和駅を中心として市街地が形成され,寛延4年の比和村万旧録には,通りは間口335間9歩とある(比和町誌)。明治4年広島県に所属。藩営鉄山は県に移管された。同7年当村に郵便取扱所を開設。同8年小学校として妙玄寺に就将館を開設。同19年巡査駐在所を設置。同21年の戸数240・人口979。同22年比和村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423485
最終更新日:2009-03-01




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