ケータイ辞書JLogosロゴ 船町(近世〜近代)


広島県>福山市

江戸期〜現在の町名江戸期は福山城下の町人屋敷地福山城の南東,入川の両岸,北は下魚屋町・笠岡町,南は神島【かしま】町当町は中央に入川が流れ,両岸は東の新橋(木綿橋)と西の元橋によって連絡していた入川右岸の町筋は御材木蔵から新橋の西側まで,左岸の町筋は御使者屋敷付近の関貫から船入関貫までで,全体としては新橋から本橋(元橋・天下橋)の西側まで南北に延びていたなお右岸の町筋を浜の町,左岸の町筋を船町と区別することもあった(備陽六郡志)町名は地内に船着場があり,船宿の町であったことに由来する「備陽六郡志」によれば,町の規模は202間余・3,267坪余,戸数153(本家45・表借家57・裏借家51),「福山志料」では,長さ202間余,戸数116・人数364享保7年の大火による船町南側の焼失戸数28(家持17・借家11)地内の中央入川左岸には中番所が設けられ,船客の宿証文,川口の出切手・諸運上を改めた阿部正邦以来の治政では,船客・諸運上を改め,他所からの使者・飛脚は当地で旅宿を申付けた入川左岸の当町東隣には御船奉行屋敷・的場があり,その東には御船入・御水主ノ者屋敷があったまた右岸の当町西隣には御普請小屋・新御蔵・御薪置所があった当町・新町では船持旅船の宿で渡世する者が多く,両町の船数は大小ともで57艘にのぼったが,のち船株のみ残る休船が多くなって37艘に減少したという(備陽六郡志)明治6年公立小学校周成学校設立,教員数男6,生徒数男107・女62同21年の戸数114・人口407同22年福山町,大正5年福山市の町名となる同6年の戸数88・人口527昭和20年8月の空襲で全焼同40年一部が宝町・笠岡町・延広町・元町となり,神島町上市・神島町中市・新町・御船町・福徳【さいわい】町の各一部を編入
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423608
最終更新日:2009-03-01




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