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「麓村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

麓村(近世)


江戸期の村名備後国安那郡のうち高屋川下流域南東部に町並みが形成され,南側一帯は丘陵地地名の由来は山に近いところからという(福山志料)福山藩領村高は元和5年「知行...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7423613]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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麓村(近世)

江戸期~明治18年の村名日向国諸県【もろかた】郡のうち鹿児島藩直轄領野尻郷に属す野尻地頭の所在地大淀川支流岩瀬川下流左岸に位置する北部は標高300~500mの丘陵地,南部は標高150m前後の高原で,岩瀬川支流の石瀬戸川・戸崎川・城之下川が南東流する地名の由来は,島津氏領における地頭の所在地を麓と称したことによる南方の涯上には伊東四十八城の1つであった野尻城がある地頭館の付近には武家屋敷を中心とした町場があり,麓町と称されることもあった村高は,寛文4年「日向国諸県郡村高辻之帳」,元禄11年「日向国覚書」,「天保郷帳」ではともに848石余,「旧高旧領」では1,028石余当村の地質は霧島火山灰からできたといわれるカルデラ台地で,保水性に欠けるため,必ずしも農耕に適した土地ではなかった村内は吉村門・跡瀬門・牟田原東門・牟田原西門・大笹門の5門に分かれていたという(西諸県郡誌)「三国名勝図会」によると,神社は大王権現社,寺院は真言宗岩屋山本光寺・曹洞宗長用山真光寺があり,大王権現社は野尻郷の総廟で,祭神は猿田彦命,例祭は11月中の酉の日,勧請年代は不詳だが寛文4年再興の棟札があり,本光寺は鹿児島大乗院の末寺で,本尊は薬師如来,開山は不明,4町ほどの所の岩窟に馬頭観音を彫った磨崖仏があり岩観音と称して参詣者が多いが,本光寺の山号はこれにちなむかというまた,真光寺は飯野長善寺の末寺で,本尊は十一面観音,はじめは新城の西にあったが,享保年間の霧島山の噴火の際砂石による災害をうけ,今の地(地頭館より辰巳方7町余)に遷ったといい,開山は素用和尚(馬関田大円寺2世)といわれるが,安永元年の火災のため開山年代などは伝わらないとあるさらに旧跡として新城・本城・戸崎城・薩摩ケ城・金重ケ城などの古城を記す「薩隅日地理纂考」には大王神社が記される大王権現社は明治初年に高都万神社と改称,もとは当村の中央部にあったが,現在は北方の台地に鎮座する明治4年鹿児島県,美々津県を経て,同6年宮崎県,同9年鹿児島県,同16年からは宮崎県に所属同年北諸県郡,翌17年からは西諸県郡に属す明治10年の西南戦争では多くの人的・物的被害をうけた「日向地誌」の著者平部嶠南が諸県郡に調査に訪れたのは明治13年で,同書によれば,村の規模は東西約2里・南北約1里18町,東は紙屋村,西は三ケ野山村,南は笛水村,西南は高原郷麓村・後川内村,北は須木村と接し,宮崎県庁からの里程は西へ約8里34町,地勢は「南猿瀬川ヲ帯ヒ北岡巒ヲ負ヒ,原野高下多ク壑谷処処ニ洞通ス,薪芻乏シカラスト雖モ運輸便ナラス」と見え,地味は「其田大約黒苦土,迫田ハ赤ホヤ土モ亦少シク雑ル,其質中ノ下,畑ハ総テ黒苦土,其質中ノ下,水利ハ便ナリ,水害ハコレナシ」とあるまた,税地は田92町余・畑413町余・宅地31町余・山林44町余・原野206町余・荒田2反余・荒畑6畝余・芝地35町余・藪27町余の計851町余,無税地は計1町余,官有地は山林255町余・原野2,725町余・藪202町余・芝地27町余の計3,211町余,貢租は地租金1,565円余・雑税金308円余の計1,874円余,戸数267(うち神社1)・人数1,320(男644・女676),牛238・馬473,船(渡船)1,村内の字地別戸数は猿瀬24・牟田原30・迹瀬27・名字ケ瀬7・天ケ谷27・吉村14・切畑8・麓106・野尻町20学校は地内麓に人民共立小学校があり,生徒数は男51・女6戸長役場と5等郵便局も麓にあった民業は大半は農業だが商業に従事する者20戸があり,農民のうち農間には工業に8戸,製紙業に1戸,医業に1戸,牛馬売買に8戸が従事した物産は,犢50頭・駒50頭・糶250石・油菜子50石・茶100斤・楮皮150貫匁・紙450束・檳灰20石・柴胡1,000斤・白菜300斤・麹10石さらに川は猿瀬川・呉志貴川・戸崎川・石瀬戸川が流れ,渡船場に猿瀬渡・新六渡・木渡があり,用水は永山溝・嘉例谷溝を用い,池には樋ノ元池・坊主木場池があり,道路は宮崎街道が通り,神社はもと大王権現と称し明治初年に改称した郷社高妻神社があり,古跡としては野尻城跡・戸崎城跡・高松城跡・真光寺跡(明治3年廃寺)・本光寺跡(明治2年廃寺)を記す明治18年同郡内に同名の村があるため,東麓村と改称

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

麓村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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麓村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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麓村(近世)
江戸期~明治初期の村名浮穴【うけな】郡由並【ゆなみ】郷のうち大洲【おおず】藩領内山筋の村麓川の上流に位置する村高は「慶安郷村数帳」では92石余,うち田39石余・畑53石余,「元禄村浦記」92石余,「天保郷帳」93石余,「旧高旧領」98石余宝暦12年の「紙御役所御仕法旧記」では,半紙漉き13人安政3年の家数50軒,人口186(大洲手鑑)享和元年以前に堺村を分村(大洲旧記)明治6年愛媛県に所属同11年以前に石畳村に合併したと思われる現在の内子【うちこ】町大字石畳のうち...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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