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- 品治郷(古代)とは
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品治郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」葛下【かつげ】郡七郷の1つ東急本は「保无智」と訓む「和名抄」以外には見えない「大和志」は現王寺町王寺に比定するが,これは王寺を品治の訛伝とみなしたことによるしかし法隆寺所蔵持統天皇8年観音菩薩造像記(寧遺下)には,「片岡王寺」(放光寺)の名がすでに見えるので,訛伝説は誤りであろう一方,「大和志料」は郷名を部民の品治(遅)部の居住に由来すると説く品治部は本牟智和気王(品牟都和気王・誉津別命)の名代部であると考えられており(古事記垂仁段・垂仁紀23年11月乙未条),「播磨国風土記」賀毛郡上鴨里条には応神天皇の従者として「当麻品遅部君前玉」の名が見えることから,品治郷は現当麻【たいま】町当麻周辺に比定できる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
品治郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」備後国品治【ほんち】郡七郷の1つ大化以前の品治国造の本拠で,令制下では品治郡家の所在郷であろう「地名辞書」「旧県史」は,江戸期の坊寺村をその遺称地と推定しており,「県史」は,福山市域の旧駅家町全域にわたる郷域を想定している... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」