ケータイ辞書JLogosロゴ 丸田村(近世)


広島県>吉舎町

 江戸期〜明治22年の村名。備後国三谿郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」275石余,正保3年地詰および「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに277石余。「芸藩通志」によれば,戸数50・人数209,村の広さは東西17町・南北6町,牛35・馬5。国丸神社は,宝暦10年村内の元四良丸社・多賀社・八幡社を合祀し,その時新築した境内への石段45段は村民(氏子)の戸数と同じにしたという(八幡村誌)。国丸神社の末社式社は,慶長年間豊臣秀吉の朝鮮出兵に軍夫として従軍し彼地で餓死した村人を祀ったもので,毎年10月の祭日に村中2組に分かれ,前夜濁酒を満酔するまで飲みつくし,祭日当日は神事のあと定例の山海の珍味を肴に,飯椀・汁椀など4器の身と蓋あわせて8杯の酒を飲み干したのち高盛米飯を食し,満酔満腹をもって餓死者の霊を慰めるのを例としていた。臨済宗廃永樹寺は,南天山城主和智誠春の開基で,境内に誠春墓,小堂に「永樹殿前左金吾咲翁宗睦 永禄十二巳正月廿四日」と記す牌子がある。明治4年広島県に所属。同7年小学校発蒙舎を創立,同9年丸田小学校と改称。同22年八幡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423757
最終更新日:2009-03-01




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