ケータイ辞書JLogosロゴ 三坂村(近世)


広島県>西城町

 江戸期〜明治22年の村名。備後国奴可郡のうち。広島藩領。明知方。村高は,延宝3年の地詰200石余,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」も同高。「芸藩通志」によれば,戸数55・人数253,広さは東西18町・南北1里4町,神社に鉾神社・天満宮・北村神社がある。鉾神社は,寛文年間鉾丸山で開田中に発掘された鉾を神体として建立(芸藩通志)。天満宮はもと天神山にあったが,のち長畝山に遷宮(国郡志書出帳)。当村開村の功労者村廻北村源之丞の開基碑は,のち拝殿が建てられ北村神社となった。村域はもとは小奴可村に属し,三坂野と呼ばれた原野であった。寛文4年藩が開田を計画し12年間で計画を完了,延宝3年の地詰で高200石余(39町2反余)と定めた。鉄穴(砂鉄採取場)の数は安永9年7(奴可郡村鉄穴帳),嘉永年間7(鉄穴持主水筋御運上口数調)。猫山は莫大な木炭を供給した。伯耆路が抜け,三坂宿は文政年間には長さ2町26間余,家数24(国郡志書出帳),番所も置かれていた。明治4年広島県に所属。同7年三坂郵便取扱所を開設。同8年鉾神社拝殿を校舎とし三坂小学校を開設。同20年両国牧場を開設。同21年戸数78・人口370。同22年八鉾村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423777
最終更新日:2009-03-01




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