ケータイ辞書JLogosロゴ 南方村(近世)


広島県>黒瀬町

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国賀茂郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」471石余,「国郡志書出帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに475石余。「国郡志書出帳」によれば,畝数71町余,戸数160・人数683,牛83・馬3。上納物は壱歩米4石余・七厘米3石余・御種米利息2石余,銀納は小物成銀61匁余うち煙役54匁・簗銀8分・竹代1匁余など,農間余業では莚・縄・草履づくりや木綿織り。氏神は宗近柳国の伊保八幡に寄合い,御旅所が広地原にあった。字西古川には妙見社(現古川神社),祭神伊弉諾命ほか2神を祀る。寺院は字寺側にある浄土真宗本願寺派生城山慶雲寺,志芳生城山にあったのを大永6年2月生城山在陣中の麻生興春によって当地に移されたという。もとは禅宗,宝永年間住僧意誓によって改宗。観音堂は改宗前の本尊(5尺余,伝行基作)を安置。虚空蔵山に薬師如来の木像を安置,のち麓へおろす。乳不足の女性に霊験があった(国郡志書出帳)。明治4年広島県に所属。同5年井上佐郷が誠意館を創立,同7年南方小学校,同19年宗近柳国村の宗近小学校と合併し片山小学教場となる(黒瀬町教育史)。同22年上黒瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7423891
最終更新日:2009-03-01




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