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- 三宅(中世)とは
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![]() | 三宅(中世) 平安末期から見える地名宇智郡河南荘のうち保元3年8月7日付官宣旨案(栄山寺文書/五條市史下)に「応同停止宇智郡宇野今井三宅散在寺領私主事」とある栄山寺の主張によれば,当地には養老年間から散在寺領田があり,不輸租を認められていたが,この頃には私領主の台頭によって寺領は退転していたという南北朝期には地侍桜井氏の領掌するところであったが,室町・戦国期には地侍野原氏の勢力が及び,やがて野原郷の一部となった長禄3年2月1日付西田又次郎売券では,又次郎が中村之藤六に売却した「宇智郡河南庄之内三宅字中畠」の畠3段は,段別5升5斗の所役を野原殿に納める定めであり,また永正12年12月11日付売券では野原摂津守頼栄が「宇智郡野原郷之内三宅」の畠田1段を湯河孫次郎に売っている(岡松家所蔵文書/五條市史上)また寛正3年と思われる畠山国信書状写(隅田家文書/和歌山県史中世史料1)には「大方次郎左衛門跡〈長門庄内,河原庄内,三宅村内〉」と見え,当地内の大方氏遺領のうち12分の1が,紀伊の隅田孫左衛門尉に宛行われている現在の五條市野原町内に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」