ケータイ辞書JLogosロゴ 茂田村(近世)


広島県>君田村

 江戸期〜明治22年の村名。備後国三次【みよし】郡のうち。はじめ広島藩領,寛永9年三次藩領,享保5年から再び広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」219石余,「芸藩通志」243石余,「天保郷帳」219石余,「旧高旧領」243石余。戸数・人数および牛・馬は,享保7年の「三次郡覚書」34(本百姓33・名子1)・158,牛16・馬7,「国郡志書出帳」34・174,牛24・馬32。馬の増加が目立つのは,当村を含む地域が鈩製鉄地帯で,その原材料・生産の輸送と関係がある。「国郡志書出帳」によれば,村の広さは東西15町・南北25町,毎年冬期3尺余の積雪があり,大雪の年には5尺余も積もり,麦作は行わなかった。村内は砂鉄を採取する鉄穴場が7か所あり,1か所で220〜700駄の小鉄を採取し藩営の鈩所へ売っていた。また諸稼ぎとして葛・粟・香茸を売った。神社は八面大明神,出雲八重垣大明神が当村の出雲尾へ飛来したものとしている。明治4年広島県に所属。同10年頃寺子屋式の小学校創立。同21年の戸数45・人口195。同22年君田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424061
最終更新日:2009-03-01




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