ケータイ辞書JLogosロゴ 百島村(近代)


広島県>尾道市

 明治22年〜昭和30年の沼隈郡の自治体名。大字は編成せず。明治24年の戸数380・人口2,010。「沼隈郡誌」によると,大正期女子の勤労と男子の海外発展が顕著で,島外へ働きに行く人が多く,海外出稼ぎ者約500人,北海道移住者約100戸,女子工員として西ノ宮(兵庫県)・尾道などに働く人約200人とある。島に残った人も農業のほか,季節により男は漁夫として出稼ぎ,12月から2か月間は酒造用水船に西ノ宮で約50人が乗り組むと記す。塩浜はもと東・仲・西の3浜であったが,明治43年東・仲の2浜に分割された。大正9年に泊140戸のうち81戸が焼失。泊は横島・田島との関係で発展。笠岡〜尾道航路などの寄港地として栄える。近年,島の北側の新涯・福田などが尾道・常石へ隣接しているため,交通の便から発展。昭和25年の世帯数593・人口2,889。同30年尾道市の町名となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424070
最終更新日:2009-03-01




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