ケータイ辞書JLogosロゴ 森脇村(近世)


広島県>比和町

 江戸期〜明治22年の村名。恵蘇郡のうち。はじめ広島藩領,寛永9年三次【みよし】藩領,享保5年から再び広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」729石余,「芸藩通志」799石余,「天保郷帳」729石余,「旧高旧領」795石余。「芸藩通志」によれば,戸数102・人数397,広さは東西30町・南北2里,牛135・馬102,鉄山業を農間の稼ぎとした。神社は森脇八幡神社と籠守神社。寺院には曹洞宗法鏡山永昌寺・真言宗久宝山城福寺がある。鉄穴は天保12年には43か所あり,久泉原には鈩があった。鉄山業の繁栄に伴い大鉄山師名越家を生んだ。中間・古家間・前中間の家号を名乗る名越三家があり,1,000余坪といわれる古家間屋敷跡がある。正徳2年鈩は藩営となり,名越家の資金源は藩鉄方からの借入銀を主とし,採取した砂鉄は藩営鈩へ納入した。比和川東方にある荒木家住宅は,茅葺・入母屋造で近世初期の建築とみられる。明治年間に入ると洋鉄の輸入に押され,当村でも鉄山業は衰退しはじめた。古家間名越家は銅山開発によって再建を図ったが失敗し破産した。明治4年広島県に所属。藩営鉄山は県営となり,村内の久泉原などに作業所が置かれた。同8年永昌寺前の郷蔵を校舎として小学校を開設し幼屯舎と称した。同21年の戸数195・人口947。同22年比和村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424086
最終更新日:2009-03-01




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