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- 森脇村(近世)とは
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森脇村(近世) 江戸期~明治15年の村名備後国奴可郡のうち「もりわけむら」ともいう東城川(成羽川)支流の粟田川上流域広島藩領明知村高は,元和5年「知行帳」112石余,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに124石余「芸藩通志」によれば,戸数25・人数60,村の広さは東西30町・南北28町,牛45・馬7,四方を山に囲まれた谷あいの地,耕地15町余,鉄山業が重要な産業であった神社は簾戸神社備中高松城主清水長左衛門の一族清水蓮光が浪人して来村し,同社を造営したと伝えるまた水利は河川によっており文政年間には井手5(国郡志書出帳)鉄穴数は安永9年4,弘化3年5,嘉永年間4(奴可郡村鉄穴帳)安政4年には鉄山師嘉右衛門の経営した長者山鈩があり,明治期まで操業した砂鉄や銑の駄送などが農間期の稼ぎとなった鈩に供給する木炭の生産では,岩山が多いため炭焼きには適さなかったという上千鳥村から入る路は千鳥川を4か所で渡り,岸を左右へ変えたのち本郷を経て,粟田村境の割デンに抜け川西村へ向かう(国郡志書出帳)粟田村に飛郷大西谷がある明治4年広島県に所属同15年粟田村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
森脇村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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