ケータイ辞書JLogosロゴ 安田村(近世)


広島県>吉舎町

 江戸期〜明治22年の村名。三谿郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」496石余,明暦年間の地詰および「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに682石余。「国郡志書出帳」によれば,戸数141(うち百姓132・職人2・社人2・浮過5)・人数636,「農業のみにて大工木挽小鍛冶之外浮儲仕候ものも無御座」村で,村の広さは東西23町・南北28町,本郷のほかに鹿操(角利とも)・大忠・井手ノ尻・平石・上谷・伏谷・小社・鳥巣・三田戸・伊領の枝郷があり,牛134・馬35,神社は丑寅神社・八幡宮・祇園社・多瑠明神社・三鳴明神社・妙見社・王子権現社・厳島社,寺院は香積寺,廃寺に法喜寺・妙雲寺・円通寺(観音寺)があった。当村と隣村三玉村にまたがって近世初頭銀の採掘が行われていたが,「ほどなく退転仕り」廃鉱となった(国郡志書出帳)。藩は寛延2年に「安田村藤谷鉱山,功者成者伺見致吟味候処見立宜ニ付……相願候付,自分挊ニ仕候様談置」としているが(済美録),本格的な再開はなかった。古い鉱道から出る濁水のため「毎歳五月植付後土用前後,稲色赤く相成出来不宜」と記し,鉱害のあったことが知られる。また登美志山(富士山とも)は円錐形の秀麗で,承久の乱で隠岐島配流中途の後鳥羽上皇が「皆人のふしとしられて備後なる富士の山の峰の白雪」と詠んだと伝えている(国郡志書出帳)。天明6年12月三谿郡百姓騒動に際し,当村と灰塚村の百姓はこの山に集結して気勢をあげている(万旧記)。明治4年広島県に所属。同9年安田小学校を創設。同21年の戸数208・人口1,115。同22年吉舎村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424134
最終更新日:2009-03-01




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