ケータイ辞書JLogosロゴ 湯谷庄(近世)


広島県>吉舎町

江戸期の広域地名備後国三谷郡のうち現吉舎町安田から三良坂町にかけての地「芸藩通志」は安田・棗原【なつめばら】・大谷・灰塚・三良坂の5か村を湯谷庄としている慶長4年5月9日廊之坊諸国檀那帳の備後国のうち「湯谷七郷」が見え,中世末期少なくとも7郷であったことが窺える(熊野那智大社文書)戦国期に和智誠春の弟又八郎久豊が,萩原山城に拠って湯谷氏を称している萩原山城は旧家谷・大谷2村にかかり(芸藩通志),田総川と上下川の合流地点,現在の三良坂町灰塚地内湯谷に比定される久豊は弘治3年2月2日毛利氏親類衆年寄衆并家人連署起請文案にも柚谷新三郎元家の名で署名している(毛利家文書)なお,応永年間湯谷跡・広沢多利跡などが備北の国人領主山内通に宛行われているから,室町初期から湯谷の名称の存在を窺うことができる(山内首藤家文書)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424255
最終更新日:2009-03-01




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