ケータイ辞書JLogosロゴ 吉浦(中世)


広島県>呉市

 戦国期に見える地名。安芸国安南郡のうち。大永3年8月10日の東西条所々知行注文に「したみ村 百貫 野間吉浦彦太郎知行」「上戸村 百貫 同吉浦知行」と見え(平賀家文書),同年11月厳島から佐西郡五日市へ出撃し,神領衆の急襲をうけ討死した大内方警固衆のなかに「吉浦野間刑部大輔」の名が見える(房顕覚書)。矢野城を本拠とする野間氏の一族が吉浦におり,野間水軍を掌握していたことがうかがえる。弘治元年,野間氏が毛利氏に滅ぼされると,かわって吉川元春が吉浦を知行し(吉川家文書),永禄5年3月吉川経安は吉浦のかわりとして石見国4か所合計100貫文の地を宛行われている(吉川家文書別集)。永禄12年,毛利軍による筑前国立花城攻略において活躍した吉川元春鉄砲隊に吉浦出身の九郎右衛門以下6名の足軽が名をつらねている(吉川家文書)。天正5年6月24日,吉川元春は末永弥六左衛門に,吉浦のうち田2町60歩,畠5反,屋敷8か所の知行を宛行い(藩中諸家古文書纂),同19年3月13日の吉川広家領地付立は「芸州ノ内」に「六十貫 吉浦」と記す(吉川家文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424271
最終更新日:2009-03-01




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