ケータイ辞書JLogosロゴ 和庄村(近世)


広島県>呉市

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国安芸郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」590石余,「芸藩通志」「天保郷帳」837石余,「旧高旧領」873石余。「芸藩通志」によれば畝数78町5反余,ほかに湯崎新開9町5反が高付けされずにある。「国郡志書出帳」によると戸数407,蔵・納屋61,人数1,803(男954・女849),牛153・船17。人口1,862のうち1,703人は百姓とその家族,村内には家族を含めて浮過87がいる。また産物は,米・麦・大豆・小豆・粟・琉球芋・楮・綿・枇杷・橙・蜜柑・菜種・素麺・麦菓子・飴・髪付油など,農間余業は漁業用縄および網の製造,鎮守の高日神社は亀山神社の摂社,毎年陰暦9月15日の例祭には,神輿を皇城宮社殿に奉し本社神輿の先駆をなし高日神社に向い弓を射る作法が行われていた。明法寺は往古真言宗明法寺と称し,呉浦城主末永常陸守の祈願所,一旦廃寺となりその後文禄4年に可部城主熊谷元直の末孫が出家し(法名西念),真宗に改宗。明治4年広島県に所属。戸数・人口は,同5年867・3,061,同20年1,496・6,083。戸口の増加は鎮守府建設工事に伴い全国から多くの人々が集まったこと,宮原村の住民が家屋を失い移住したことによる。同20年眼鏡橋から十文字新開に至る国道(のちの本通)が完成。同22年市制町村制施行による和庄村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424355
最終更新日:2009-03-01




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