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- 和田村(中世)とは
「和田村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 和田村(中世) 南北朝期から見える村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 和田村(中世) 鎌倉期~室町期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 和田村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 和田村(中世) 戦国期に見える村名常陸国鹿島郡のうち応永3年8月の大宮司大中臣則重等連署申状に「和田権祝家貞」,永享7年8月の大禰宜中臣憲親等連署起請文案にも「和田権祝部中臣久家」と見え,当地に鹿島神宮に関係する神官がいた(鹿島神宮文書/県史料中世Ⅰ)永正18年正月日の社頭毎日番次第にも「廿七日 和田祝 主殿 万徳」と見える(同前)永禄2年12月17日の鹿島治時寄進状に「梶山之内和田之村薬師寺領之事,壱町九段奉付之所也」と見え,当村の薬師寺に寄進されている(光福寺文書/県史料中世Ⅰ)文禄4年7月16日の中務大輔当知行目録写に「一,千百八石九斗四升 かち山・わた・二重作」と見える(佐竹義秀文書/家蔵文書)大洋村梶山のうちに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 和田村(中世) 南北朝期に見える村名日向国宮崎郡のうち貞和4年8月9日某袖判下文(土持文書/日向古文書集成)は,土持時栄に対して「日向国宮崎庄北方内和田村半分」を宛行ったことを記しているこの村は「勘解由左衛門尉跡」と記されており,また,土持氏は北朝方として活動し北朝年号が使われていることからも,北朝方から安堵されたものとみられるその後,文和3年10月16日沙弥浄心申状案(大友文書/同前)によると,浄心は豊後国大友氏の惣領氏時に,宮崎荘内和田村を,同じく宮崎荘内の調殿【つきどの】村・宮崎本村半分・柏田半村等とともに譲るにあたって,その安堵を求めている和田村は「宮崎庄北方」の表記からみて,宮崎市上北方・下北方内の地名とみられる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 和田村(中世) 室町期に見える村名備中国賀陽郡のうち応永19年7月5日の年紀を有する出三蔵記集録上巻第2の奥書(北野社一切経/大日料7‐16)に「備中国和田村観音寺之住慶印」と見え,同年8月18日に行われた北野社一切経供養で結縁した僧に観音寺の慶印が見える同年7月1日の年紀を有する同書第1の奥書(同前)に「備中国府中観音寺住慶印」と見えており,当村は備中国府の所在地にあったことが分かる現在の総社市北溝手の小字和田・和田前付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 和田村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 和田村(中世) 南北朝末期にみえる村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 和田村(中世) 戦国期に見える村名備前国邑久【おく】郡のうち長享2年5月15日の上寺山余慶寺涅槃像施主連名書(余慶寺文書/県古文書集4)によれば,長享2年,文明15年12月22日の山名俊豊軍の備前乱入によって散失した余慶寺涅槃像を修復したとき,「和田村」の住人「六郎次郎」が勧進に応じたとされる現在岡山市射越地内に和田の小字が残る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 和田村(中世) 戦国期に見える郷村名浅井郡錦織【にしごり】郷に属した天文7年6月13日の「和田家阿弥陀仏像裏書」には「真宗寺門徒 近江国 浅井郡錦織郷和田村 願主 釈道秀」とあり,一向宗勢力の浸透した地域であったことがわかる東浅井郡びわ町大字落合【おちあい】のあたりか... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 和田村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」