ケータイ辞書JLogosロゴ 秋根(近代)


山口県>下関市

 明治22年〜現在の大字名。はじめ豊東上村,明治31年勝山村,昭和14年からは下関市の大字。明治24年の戸数165(ママ)・人口345(男170・女175),厩17,寺院2(徴発物件一覧)。同39年砂子尋常高等小学校が勝谷から秋根尻へ移転。大正13年勝山尋常小学校と改称。昭和16年には勝山国民学校となったが,同22年市立勝山小学校となり,同32年字金子に新築した。市立下関北部中学校の分室が勝山小学校内に置かれ,同24年秋根字保多石に新築移転し,勝山中学校として開校。大正4年に勝山信用購買組合が設立され,昭和23年勝山農業組合となったのち,下関市内14組合が合併し,同40年に市農協勝山支部となった。同47年市農協本部が建設された。また,昭和2年に楠乃から郵便局が移転。同6年には下関から秋根を経て,内日【うつい】に至る路線バスが開通。同28年,勝山農協内に勝山公民館が発足。同33年には市役所勝山支所内に移転,同48年現在地に新築移転した。同23年西養寺に清和保育園が開園。同55年には勝山保育園が新下関団地に開園。昭和46年,新下関駅周辺土地区画整理事業の工事が着手され,地内の様相が田園地帯から都市市街地へと一変した。工事は同55年完了。昭和48年,関門橋の開通とともに中国自動車道が開通。同50年には山陽新幹線が開通し,新下関駅が開業した。同55年,下関消防訓練センター開設,同54年秋根古墳が市文化財に指定された。一部が,昭和53年新下関団地,同54年秋根東町・秋根南町1〜2丁目・秋根西町1〜2丁目・秋根本町1〜2丁目・秋根北町・形山みどり町・伊倉東町,同62年形山みどり町・秋根東町・秋根南町2丁目となる。昭和60年の世帯数148・人口533。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424435
最終更新日:2009-03-01




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