浅江(近代)
昭和14年〜現在の大字名。はじめ周南町,昭和15年光町,同18年からは光市の大字。旧浅江村役場を光町役場・光市役所とした。昭和16年虹ケ浜駅が光駅と改称され,同駅から地内を縦断して直接工廠に通じる専用鉄道が敷設された。さらに,同17年新県道虹ケ浜室積線が開通し,鉄道省営自動車の運行が開始された。同年光中学校開校,また光海軍工廠従業員の住宅が急造され,寄宿舎が地内数か所に建てられた。同22年の「光市統計資料」によれば,田235町5反余・畑85町9反余・山林185町9反余・宅地11町4反余・原野13町1反余・雑地5町2反余・その他486町6反余。世帯数・人口は,同30年2,204・9,550(男4,658・女4,892),同40年2,741・1万770(男5,434・女5,336),同50年3,724・1万2,794(うち男6,246・女6,548)。昭和20年米軍の光海軍工廠への波状爆撃で,浅江国民学校・市庁舎が全焼し,市役所業務は暫く付近の清鏡寺で行われた。同22年には浅江中学校が新設され,翌年光中学校は新制光高校になる。同27年光高校の統合移転にともなって,跡地に浅江小学校が改築移転。昭和22年浅江支所・浅江和田出張所を設置。同38・53年には浅江出張所(公民館併設)を新築。昭和50年光税務署,同58年光駅,同59年市立病院をそれぞれ新築。また,昭和56年には光丘高校・勤労者体育センターが新設された。一部が,同32年花園町・相生町・泉町・堀田町・流川町・緑町・幸町・虹ケ浜町・虹ケ浜東町,同45年丸山町,同53年宝町,同54年中村町・虹ケ丘1〜4丁目,同55年宮ノ下町・和田町・協和町・宝町・丸山町,同56年木園1丁目・花園1丁目・虹ケ丘5〜7丁目・浅江1〜7丁目となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424458
最終更新日:2009-03-01