ケータイ辞書JLogosロゴ 朝倉村(近世)


山口県>山口市

 江戸期の村名。吉敷郡のうち。萩藩領。山口宰判に属す。村高は慶長15年検地帳では単に朝倉と見え湯田と合わせて1,848石余,寛永2年検地帳は浅倉村と見え湯田と合わせて2,108石余,享保13年に1,270石(地下上申),「天保郷帳」1,272石余。山口町を描いた「山口古図」では,山口町西端部の湯田町から北へ行ったところに朝倉ノ里があり,「山口ノ名ヨリ古キ名也」と記され,その北の奥山麓に朝倉八幡宮がある。慶長15年検地帳によれば,湯田と合わせて田143町3反余・1,724石余,畑13町余・77石余,ほか物成3石余。享保13年の田1,157石余・畑102石余,410石が蔵入で,860石が給領地,家数138・人数481,小村は赤妻・西・河内・荻・土井・馬場など。社寺に朝倉八幡宮・禅宗大林寺・臨済宗瑞陽寺があった。朝倉八幡宮は,「注進案」によると,社領高は1石余,氏子240軒とある。大林寺は朝倉八幡宮の東隣にあり,曹洞宗で元禄6年荒廃していたものを当村の給領主宍道就則が菩提寺として再興し,大林寺としたという。「注進案」によれば,檀家は宍道氏など6軒。江戸後期には下宇野令村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424465
最終更新日:2009-03-01




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