ケータイ辞書JLogosロゴ 浅田保(中世)


山口県>山口市

 戦国期に見える保名。周防【すおう】国吉敷郡のうち。朝田村とも呼ばれる。天文22年6月20日,竹田法橋定詮は仁保右衛門大夫隆慰へ自己の諸所領を注進し,大内義長の証判を得ているが,そのなかに「吉敷郡朝田村千世丸保内段銭加之」と見える(閥閲録141)。弘治3年4月22日,毛利隆元は同人に対し,「朝田村千世丸保百石」等の諸所領支配権を安堵している(同前)。同年3月20日の周防国分寺僧覚円の手日記(寺社証文22)に「吉敷郡浅田保千代丸差弐段,近年長梅軒押領之事」と見え,初めて保名として記載される。当保内に周防国分寺領があり,戦国末期に不知行の状態にあった。その他同年8月28日付の杉松千代丸の知行注文(閥閲録79)によれば,朝田村で50石の杉重良の給地があったことが知られる。また天正19年11月9日の三浦兵庫頭元忠の知行付立写(三浦家文書/大日古)では,浅田で641石余の三浦元忠の所領が記されている。なお保名ではないが,明応6年4月19日の大内義興の周防五社参詣を記した「五社参詣之次第」(注進案12)に「吉敷庄御立,則浅田御着,五社へ(異本には五社への三文字見えず)御参詣」と見え,「浅田」という地名は明応6年以前にさかのぼる。同史料に「浅田」が見えるのは,五宮大明神(現朝田神社)があったせいであろう。保としての成立も中世前期にさかのぼる可能性があるが裏付けはない。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424471
最終更新日:2009-03-01




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