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- 余部郷(古代)とは
「余部郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 余部郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」但馬国城崎【きのさき】郡六郷の1つ高山寺本には当郷の記載を欠く「地理志料」は「但馬考」にいう灘および下鶴井荘の地域,すなわち現在の城崎町上山【うやま】・来日・結・戸島・楽々浦【ささうら】・飯谷付近にあたると想定し,「地名辞書」では近代の湯島村および港村の一部,現在の城崎町湯島・今津・桃島と豊岡市小島・瀬戸・津居山付近に比定している |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 余部郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」但馬国城崎【きのさき】郡六郷の1つ高山寺本には当郷の記載を欠く「地理志料」は「但馬考」にいう灘および下鶴井荘の地域,すなわち現在の城崎町上山【うやま】・来日・結・戸島・楽々浦【ささうら】・飯谷付近にあたると想定し,「地名辞書」では近代の湯島村および港村の一部,現在の城崎町湯島・今津・桃島と豊岡市小島・瀬戸・津居山付近に比定している... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 余部郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」上総国夷灊【いしみ】郡六郷の1つ高山寺本には見えず近世に新戸郷があった勝浦市新戸付近に比定する説(地理志料・稿本県誌),余部は海部に音が近いことから勝浦市・御宿町の海岸付近に比定する説(地名辞書)がある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 余部郷(古代) 奈良期に見える郷名但馬国気多郡のうち天平宝字6年12月16日付私部得麻呂漆工貢進文に「私部酒主〈年廿〉但馬国気多郡余部郷戸主私部意島戸口」と当郷の者が漆工として奈良に上っている(正倉院文書/大日古)比定地未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 余部郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」下総国相馬郡六郷の1つ高山寺本には見えず我孫子【あびこ】市都部【いちぶ】に比定する説(下総国旧事考)と,茨城県北相馬郡守谷町に比定する説がある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 余部郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」周防【すおう】国玖珂【くが】郡十郷の1つ郷名は高山寺本に見えない現在の柳井市余田【よた】付近に比定されるが確証はない(地理志料・地名淵鑑)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」