ケータイ辞書JLogosロゴ 有冨村(近世)


山口県>下関市

 江戸期〜明治22年の村名。長門国豊浦郡のうち。長府藩領。西豊浦郡前支配に属す。慶長15年検地帳では在富村と記される。村高は,慶長15年検地帳では延行村と併記され545石余,元文4年1,486石余(地下上申),「天保郷帳」1,247石余,「村浦明細書」は田のみで534石余,「旧高旧領」647石余。近世後期に石原村・延行村を分村したものと思われる。「村浦明細書」には,家数46,人数については有冨・石原・延行3か村の農民221(男117・女104)とある。寺院は天台宗竹生寺と浄土真宗本願寺派光栄山専徳寺がある。竹生寺の本尊の木造聖観音菩薩立像は県文化財。大正15年まで,近郊の馬持ちは初午詣を盛んに行った。「村浦明細書」はほかに八幡宮・大歳社・貴船社・竜王社と禅宗薬王寺を記している。明治3年綾羅木・有冨・石原・延行を総括して有冨支配が設けられる。同4年豊浦県を経て,山口県に所属。同12年有冨・石原・延行の3か村の戸長役場を当村字殿屋敷に設置。同16年の戸数66・人口280(県の統計百年)。同22年豊西下村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424527
最終更新日:2009-03-01




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