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- 伊倉村(近世)とは
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伊倉村(近世) 江戸期~明治9年の村名菊池郡のうち菊池川上流右岸の段丘上に位置し,当地あたりで生味川が菊池川に合流する地内から縄文中期~後期の石器・土器が出土地内茂藤里【もとうり】の南東,菊池川に突き出た丘陵上に茂勝里(元居)城跡があり,下方に空堀が残る掛幕城の後備えとして豊後日田方面の防衛にあたる城であったという熊本藩領村高は,天正17年の検地帳(県立図書館蔵文書)で127石余うち田58石余・畠69石余,「寛永郷帳」127石余,「正保郷帳」も同高でうち田57石余・畠69石余,「天保郷帳」も127石余,「旧高旧領」164石余「肥後国誌」によれば河原手永に属し,高164石余,小村に茂藤里村・古川村などがあるまた文化・文政年間の河原手永手鑑によれば,高164石余,請免は75石余,竈数64・人数310,牛64・駄馬90(肥後藩の農村構造)当村の丘陵地を天保7年完成の古川・兵戸井戸が西流し,この井手を飲水・灌漑に利用した神社は茂藤里の北に赤馬場大明神宮が鎮座なお同社は大正6年元居神社と改称,当村氏神の天満宮を合祀した熊本県を経て,明治5年白川県に所属同9年重味村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
伊倉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」