ケータイ辞書JLogosロゴ 岩国町(近代)


山口県>岩国市

 明治22年〜昭和15年の玖珂郡の自治体名。錦見村・岩国町が合併して成立。旧町村名を継承した2大字を編成。役場を錦見に設置。明治24年の戸数2,108・人口7,414(男3,603・女3,811),寺院19,学校1,船62(徴発物件一覧)。同33年劇場錦座ができる。この頃錦帯橋と臥竜橋の維持修理について町は容易ならぬ苦心を払った。また水害対策にも苦慮した。同35年の水害時には,堤防決壊2か所40間,破損13か所320間,浸水床上3,4尺に及び,浸水家屋998戸,被害耕地102町余を数えた。明治30年新小路の東から麻里布村を経て和木,広島県境に至る道路の改修請願を県会議長へ提出。同38年横山村を合併し,同村の3大字を加え,合計5大字を編成。同39年城山を風致保存林とするよう申請した。同42年錦見〜岩国駅間に路面電車開通。同43年錦見・横山・川西に電灯がつく。大正2年,臥竜橋上流および下流域の堤防改修が行われた。同4年,護岸の竹林,錦見藪,横山藪の払い下げを申請し,許可された。臥竜橋は明治44年当町に寄付され,渡銭を廃止。同年町立岩国図書館創設。大正4年岩国高等女学校が川西に移転。同年臥竜橋筋は国道に編入され,同6年コンクリート橋として架設された。大正5年錦帯橋維持費積立金規程をつくり,名橋錦帯橋の維持経営に当たった。同7年米価高騰のため当町は窮民救助規則を設けたほか,錦見・岩国・横山・川西・平田5か村に廉売米配給所を置いた。同9年町は蚕業奨励交付規程をつくり,蚕業者15名以上で組合を組織。当時,錦見・川西・横山・平田では組合を設置し,川西・錦見の各蚕業組合は稚蚕共同飼育用の桑園地を拡張し,盛んに養蚕業を営んだ。昭和初期不況対策のため千石原から新小路に至る両岸の改修工事を施行した。愛宕橋は同8年度農村振興土木事業費の割当を受け,同10年完成。同11年河川改修と同時に住宅地の大改修を実施。同12年岩国商工会設立。同13年錦帯橋風致地区を設定(岩国市史)。同15年岩国市の一部となり,町制時の5大字は同市の大字に継承。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424675
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ